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和歌山城に関する講演拝聴後、翌朝の散策

千田嘉博先生が公演された「和歌山城と日本の城」を拝聴しました。日本の城の成り立ちを話され、京都の絵画から城の構造について話され、身分によって通行できない所もあり、それぞれ使用できる門が限られ、出入り口が異なっていたとの事でした。しかし、身分に関係なく、下級武士であっても入れて皆で談義や宴会ができる部屋も設けられていたとの事です。

和歌山城は姫路城、松山城と並ぶ連立式天守で有名で大天守に小天守と二基の櫓を多門櫓で結んだ連立構造となっています。和歌山城は豊臣秀吉の弟の秀長に築城させた城で、その後、浅野幸長が城主になり、連立式天守を立てたとの事でした。和歌山城が大改築されたのは徳川頼宣が城主になった時に、二の丸を西に広げ、砂の丸、南の丸を新たに作ったとの事です。西の丸庭園も造られたとの事でした。(城内庭園のあるところは多くは無く、和歌山城の素晴らしさが分かる点であるとの事です。)その後、紀州徳川家が成立し、約250年にわたり、和歌山城を居城としました。その後落雷による火災で天守は消失、再建されました。その後は昭和20年の和歌山大空襲により、焼失、現在の天守は昭和33年に鉄筋コンクリートで再建されました。講演で印象に残ったのは戦略的な意味での下記の説明でした。

馬出(うまだし)

虎口の外側に堀を隔てて設けられた曲輪の事で、名古屋城(愛知県)、篠山城(兵庫県)の馬出はしっかり遺構がのこっているとの事でした。和歌山城にもあるが、石垣の積み方も洗練されてきて、高く積むことができるようになり、門から入ったところが坂であったり、左右に分かれたりして、直接天守に行けないような構造になっているとの事でした。西洋の城も同じような構造になっているが、これは守りの面で同じ構造になったと考えられるとの事でした。

雁木

土塁の城側(内側)が全面的に階段構造になっているもので、敵が襲来した時にすぐに対応できるように、上段に登れるようになっている。和歌山城もかなりの部分がそのような構造になっているが、現在は桜などの木が生い茂り、視認することが難しくなっているので城好きにはこのような構造が見ることができるように管理してもらいたいとの事でした。
また、各地の城も老朽化や現在の耐震性を満たしていないなどから建て替えが行われており、地震で崩れた熊本城やいくつかの建て替えられた城の例や西洋の城の改築などを例に出され、スロープやエレベーター等が設置、バリアフリーとして車椅子の方でも天守まで行け、見学可能になっていることが大事で、内部の構造が近代化されているのは当然であるとの事でした。ただ、改築する時にこのあたりのことを理解されていないこともあり,築城時の復元を希望される場合もあるとの事でした。

最後に和歌山城の現在の問題点として

1.紀州徳川家の城として発展してきており、天守閣は大天守に小天守と二基の櫓を多門櫓で結んだ連立構造、城内庭園があり、雁木も確認できる素晴らしお城であり、市民にもっとその素晴らしさを広く知って頂きたい。

2.  建物が老朽化しており、現在の耐震構造ではなく、建て替えが必要と考えられる。木造にするのか鉄筋コンクリートにするのかは市民が決めることであるが、誰でも見学できるようにバリアフリーとするような構造にする必要がある。昔の時代そのままの築城は現代では色々な意味でできない。

3.現在城内に貴重な展示物を展示されているが、今の構造では展示物の劣化を招くので、早急な対応が必要と考えられる。

講演を聞いた翌朝、講演内容を思い出しながら約2時間和歌山城を散策しました。
勿論、天守閣にも登って来ました。(天守閣は午前9時から開門)
「空の青思いめぐらす天守かな」