Yoshikiyo Matsutani

松谷良清(まつたに よしきよ)

経歴

昭和32年3月4日 生まれ 
 
■日本内科学会認定医 
■日本循環器学会専門医 
■日本超音波医学会専門医 

昭和58年

大阪医科大学 卒業 
和歌山県立医科大学臨床研修医 
国立循環器病センター心臓内科レジデント 
和歌山県立医科大学循環器内科助手 
橋本市民病院 循環器科勤務を経て

平成15年

松谷医院に勤務し、現在に至る。

ご挨拶

世界はグローバル化し、インターネットが急速に広がり色々な情報がすぐに世界を駆け廻る情報化社会となっています。
地域においては市町村合併に伴う老人福祉の問題、過疎地における急速な少子高齢化の進行など現在多くの問題があります。 
 
父が当地で診療を開始し、約60年が経過し、2010年3月26日に父(鷹太郎)が他界しました。 その後診療を引き継ぎました。この間医学も急速に進歩し、遺伝子診断、臓器移植、再生医療などが行われる時代になっています。 
 
その反面、あまりに細分化、専門化され、 
【人間をその人の心も含め人として丸ごと診る】
 医師が少なくなっているような気もします。 
【木も森も見る】
医師を理想とした父の意志を受け継ぎお世話になった当地で 
 
「やさしく、思いやりのある医療」 
 
を続けたいと考えています。 
何かご相談があれば、気軽に来院してください。

父の背中

三歳頃、父の広い背中から建設中の赤い橋を見たおぼろげな記憶がある。 
小学生の頃、深夜に往診に出かける父の背中を半ば夢うつつで見ていた。 
医師になりたての頃、「こんな若造には負けぬ」という 
父の凛とした背中があった。 
循環器専門医になった頃、「専門は詳しくても人をまるごと診られなければ一人前ではない」と父の背中をとうして教わった。 
80歳を過ぎて背中が少し丸くなった頃、凛と立つ努力をする父がいた。 
 
「鷹一羽赤き橋みせ旅だちぬ」